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会話の流儀、言語の影響 [コロラド生活]

週末、コロラドでお世話になった方が帰国されたので、夕食をご一緒した。
折りしも場所は新宿。
最もコロラドとは程遠い場所で、私も帰国後この街を訪ねるのは初めてだと思う。
その異様な(まさにこの言葉がふさわしい)状況は、
米国どころか日本のどことも違う、と改めて感じた。
横浜とも、北海道とも、銀座とも。

さて、帰国者同士ともなれば、
やはり会話で盛り上がるのは日米ギャップについて、となる。
その中でおもしろかったのは、
海外、というか、英語圏生活経験者の方が会話がしやすいかも?という話。

日本語は、時間当たりの(陽に表現する)情報量が英語よりも圧倒的に少ないため、
意思疎通において、言葉として陽に表現しない部分=各自が想像する部分 が多くなる。
だから、各自の想像の素となる各自の考え方や経験、所謂「バックグラウンド」が
似ている者同士ならば会話はしやすい、あるいはとても盛り上がったりするが、
そうでない場合の会話がものすごくしづらい。
一方で、英語は、意思疎通において、言葉として陽に表現する部分が多いから、
バックグラウンドが違う人とも話がしやすい。
また、勝手に想像で補ったりせずに、他人の話を聴いて情報を理解するため、
相手の話を「ぶった切る」ようなインタラプトが少なく
会話のリズムがキャッチボールになる場合が日本語よりも多い気がする。

で……
英語での会話経験が多い人は、たとえ日本語で話していたとしても
そういった英語の特徴を生かした会話の流儀が身についていること、
そして、どうやら私はそちらの会話の流儀が心地よいと思っていること、が
私が「英語圏経験者の方が話しやすい」と思っている原因らしい。

他人の話を中途半端に最後まで聞かずに
「これこれこういうことですね?」と勝手に想像する人がいるが、
そういう会話の流儀が苦手なのも、どうやらそのせいかもしれない。

あるいは、私はときどき「察しが悪い」と言われるのだが、
日本語的会話に向いてない部分が出てしまっているのかもしれないな。

米国暮らしが心地よいと思ったのは、コレが原因の一つかも?

……なんてことを酔った頭で考えた硬い話もあり、
もっとやわらかい、食べ物や生活習慣の話もあり、
楽しく米国生活を思い出せた、夜だったのでした。

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